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山陰スピリチュアル紀行

茶臼山登山と意宇六社・古墳巡り

茶臼山、山代・大庭古墳群、真名井神社、六所神社

今回は、出雲国風土記に登場する神名樋野(かんなびぬ)・現在の茶臼山の登山と、その麓にある山代・大庭古墳群の見学、そして意宇六社のうちの真名井神社と六所神社をめぐって来ました。 

茶臼山

この日は気持ちの良い快晴に恵まれ、9時過ぎに「ガイダンス山代の郷」を出発! 登山口までの近道を、 ガイダンス山代の郷の方に案内していただく中で、「他の山ではマムシが出ている」という情報を聞き、少々おびえながら登山開始(・・;) 171mと低い山ではあるけど、急な登り坂が多く、おしゃべりしながらだと「ハァハァ」と息切れも・・・。
茶臼山は「出雲国風土記」に神名樋野として登場し、神々が籠る山とされていたそうです。中世には見晴らしの良さや、麓の平野に古代山陰道の交差点があるなど交通の要地であることから、山城が作られていたそうです。登山道の山頂手前に大きく窪んだところがあったのですが、そこが堀や溝など城の名残だそうです。登山道や山頂からの景色で、古代を感じることの出来る素敵な山です。ちょっと登っただけでこの絶景が楽しめる、本当オススメの山です☆ 
20分弱位で頂上へ到着すると、思わず「わぁーーーすごぉーーーい!!」と口々に言ってしまうほどの絶景が広がっていました! 松江市中心部・宍道湖・中海、そして神魂神社や六所神社がある方向の田園風景まで360度見渡せる本当に素晴らしい眺めでした。
所在地: 島根県松江市山代町

山代・大庭古墳群の見学

下山後は、「出雲国まほろばガイドの会」の荒木厚信さんと合流し、山代・大庭古墳群を見学させていただきました。当初は山代二子塚古墳だけ見学の予定でしたが、荒木さんの粋な計らいで、茶臼山登山口のすぐ近くにある「永久宅後(えいきゅうたくうしろ)古墳」 → 「山代方墳」 → 「山代二子塚古墳」の順番で案内してくださいました。特に永久宅後古墳は、普通の民家(永久さん宅 :現在は空き家)の敷地内に石室があり、普段は入ることが出来ないところを、私たちが「えーーー!! 見たい! 入りたい!」と騒ぐもので(笑)、荒木さんが管理人さんに交渉してくださり、入らせていただけることに!!!
お家の脇をぐるりと入ったお庭に立派な石室が!! こんなところにあるなんて! なんだか凄い! と大興奮♪ 一枚石がぴっちりと組み合わせて雨など入ることのない、素晴らしい造りの石室でした。中にも入らせていただきましたが、5~6人が入っても余裕の広さで真っ直ぐ立つことも出来る天井の高さでした。
山代方墳と山代二子塚古墳はこの辺りの最有力クラスの豪族の古墳だそうで、山代二子塚古墳は古墳時代後期に作られた県内最大級の古墳とのことでした。
写真奥の丘が山代方墳で、石室の入り口は非常に狭く、さすがに入るのがちょっと怖くて断念(^^ゞ
写真奥の丘が山代方墳で、石室の入り口は非常に狭く、さすがに入るのがちょっと怖くて断念(^^ゞ
山代二子塚古墳は本当に大きくて存在感があり、このことだけでもこの辺を治めていた力のある方が眠っておられるのだなぁと感じました。石室は発掘調査されていないそうなので、今でもここに眠っておられるのですね。こちらは古墳の後方部の土層が見学できるようになっていて、こんなにも広い範囲で土層が見学出来るのは全国でもここだけ!! ということで、古代の方たちが築いたものを身近に感じることが出来る貴重な空間だなぁと感じました。
右の写真の黄色い線が引かれた部分に石室が存在すると考えられているそうです。本当に大きい石室だということがわかりますよね!! 私自身、今回の山代方墳や永久宅後古墳のような「方墳」や、山代二子塚古墳のような「前方後方墳は初めて知りました。前方後方墳という名が使用されたのも、この古墳が初めてだそうです(^O^)。 この形は出雲地方での中でも松江と安来市にのみ見られ、出雲市や石見はみられないそうです。なんだか貴重なものがこんなに身近にあったのかと、改めて魅力に感じちゃいました♪

所在地: 島根県松江市山代町470-1 (ガイダンス山代の郷)

モッチモパスタ 松江山代店

ちょうどお昼時になり、朝からしっかり動いた私たちはお腹ペコペコ。お昼ご飯は、近くのモッチモパスタに行きました♪ パスタにサラダとバケット、ドリンクがついたお得なランチセットを注文(*^_^*) お好みのソースが選べるパスタに、バケットも種類が豊富♪ それぞれ好きなものを選んで、美味しく頂きました☆
所在地: 島根県松江市山代町1017

真名井神社

午後も荒木さんにガイドをして頂き、まず真名井神社へ。
結構急な参道の石段を登りきると、目の前に神楽殿のような雰囲気の建物の中央に御賽銭箱が設置されていて、ご本殿はその奥にありました。
少し珍しい造りだなぁと感じましたが、由緒記を見ると、ご本殿の造りも殿内の五面の壁に「葬儀」「流鏑馬」「舞楽」「蓬莱島」等の壁画が描かれていることや妻にある雲竜など、大社造りの中では異色なのだそうです。由緒記に載っているとても綺麗なその壁画や天井の八重雲の写真が本当に素晴らしくて、もちろん実際に見ることはできませんが、この中にこんな素晴らしい壁画が描かれているのだと想像して感動でした。
真名井神社は御祭神が、伊弉諾尊(イザナギノミコト)・天津彦根命(アマツヒコネノミコト)です。参拝後、宮司さんが気さくにいろいろとお話してくださいました。真名井神社を含めた意宇六社は、出雲国造家と関係が深く、松江市大庭町に国造家があった頃は直接主斎していたそうです。国造家が出雲市大社町に移った今も、その関係は続いているそうです。それを表しているのが御神紋で、二十亀甲に有の文字がつかわれています。以前、例祭は7月7日の七夕の日に行われていて、桶に月を浮かべて(=映して)それを拝む風習があったそうです。なんてロマンティック☆彡 風が季節を支配すると考えたり、太陽や月を拝み、豊作を祈っていたそうです。社殿の妻にある雲竜の絵は実際に見ることが出来、懸魚(げぎょ)と共に火災封じの意味があると教えていただきました。昔はその懸魚も本物のお魚を飾っていたとのこと。ここにお魚が2匹並べて飾ってあったのかぁ、と想像(^。^)
壁画にある流鏑馬は、今でも残っている神社の目の前の真っ直ぐ伸びる松並木の参道で行われていたそうで、これはぜひいつまでも残してほしいなぁと感じました。
所在地: 島根県松江市山代町84

真名井の滝と荒神さん

真名井神社の奥宮ともいえる「真名井の滝」にも足を伸ばして寄ってみました。小さい滝で、ちょっと寂しい感じのところにひっそりとありますが、以前はこの滝の脇でそうめん流しをされていてにぎわっていた所です。昔はこの滝のところから小石を拾って歯固めの神事が行われていたそうです。 現在もある赤ちゃんのお食い初めのお祝いでお膳に丸石を置く風習と同じですね(^。^) また、出雲国造家の世継があるときの神事にもこの真名井の滝の水が使われるそうで、そのことからも、ここ真名井神社が出雲国造家と深い関わりがあることが良くわかりますね!
この後、荒木さんがもう一つレアな場所に案内してくださいました。真名井の滝のすぐ近くの茂みの中を入っていくと、まずは社日さんがあり、その先もう少し進んでいくと、なんと石造りの大きな竜の頭が祭られていました!! これは荒神さんだそうです。ここの空間は、なんというか息を呑むような雰囲気の中にあり、本当に知る人ぞ知るといった感じのところでした。

六所神社

最後に、六所神社へ。この日はちょうど例大祭の日で、これからお祭りが始まるというグッドタイミングでした。厳かに執り行われ、御本殿の扉が開かれ、お供えの品が次々と中へ運ばれていく様子を静かに拝見させていただきました。六所神社は、御祭神が、伊邪那岐命(イザナギノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)、月夜見命(ツクヨミノミコト)、天照皇大神(アマテラススメオオカミ)、素戔嗚命(スサノオノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)です。こちらも御神紋は二重亀甲に有の文字で、出雲国造家との深い関係を表しています。以前はすぐ後ろに出雲国庁が置かれていた為、出雲国の総社として重きをなす神社だったそうです。
六所神社・真名井神社を含む意宇六社(他に熊野大社・神魂神社・八重垣神社・揖屋神社)は国造家と縁が深いことから特別扱いで崇敬され、江戸時代頃は「六社まいり」が流行でもあったそうで、この日社務所前には六社まいりを宣伝するような昔のポスターが飾られていました。きっとたくさんの方がこの地に訪れたのだろうなぁと想像しました(^。^)
所在地: 島根県松江市大草町496
今回、茶臼山、周辺の大規模な古墳群、そして出雲国造家と深い関わりのある真名井神社や六所神社とめぐらせてもらい、この辺りが古代から江戸時代辺りまで、出雲の中心地で重要な場所であったのだということが感じることが出来ました。地元が誇らしくも思えたし、いつまでもこの風景が残っていって欲しいなぁと強く思いました。
(協力:社☆ガール 立原 愛 2016.10.15)